暗黙知の次元

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)


僕が大学院に入る前からやりたいといっていたことは、目に見えないものを見えるようにしたいということでした。
でも、その言葉にはどこか違和感があって、目に見えないものだけに限定しているわけではなくって、こう、概念的なものを
明らかにしたいとでもいいますか、なんともそこについて不明瞭でした。
しかしながら、この本を読んだことで自分が明らかにしたいと思っていたことがわかりました。

暗黙知
(あんもくち、Tacit Knowing)は、ハンガリーの哲学者・社会学者マイケル・ポランニー(Michael Polanyi)によって1966年に提示された概念で、認知のプロセス、或は、言葉に表せる知覚に対して、(全体的・部分的に)言葉に表せない・説明できない知覚を指す。


wikipediaより


研究のパラダイムとしても、動きや脳の中や物事の関係性等、どんどん「言葉に出来ない何か」を明らかにする方向に向かっていっている気がしています。文章中では「隠れた知のダイナミズム」と書かれていますが、それを明らかにしていくことで、もっと今までとは違ったアプローチで人間の心の解明に取り組むことが可能になるのではないでしょうか。物質的に満たされた現在、精神的にも満たされた状態を目指すために、このような研究の必要性の認識が高まることを願います。ただ、言葉に出来ないできない知覚なだけに、説明もしずらいという側面もあるわけですが。



以下線引いたこと箇条書き


・「知る」には「対象を知っている」と「使い方を知っている」の2つがある
・人は無意識でも知覚を行っている(閾下知覚)
・たとえば、人の顔の諸部分について詳しく説明出来なくても人相は判別できる
 (雰囲気を知覚している)
・知を保持するのは、発見されるべき何かが存在するという信念に、心底打ち込むということだ。
 また、おしなべて孤独な営みであるという意味合いにおいて、個人的な行為である。
・誰かを見るということは、無限に存在するその人の精神と肉体の隠れた働きを見るということなのだ。
 私たちが知覚するのは実在(リアリティー)の一側面であり、したがって数ある実在の側面は、
 いまだ明かされざる、おそらくいまだ創造されざる、無限の経験に至る手がかりになるからである。
・科学は、科学的な事実と価値がいまだ明かされざる実在に関係すると信じて初めて、独自の
 学問分野と独創性を持つことができる。
・独創性はあらゆる段階で人間精神内の真実を増進させるという責任感によって支配されている。