ハイスピード人間

昨日ユニバーサルデザインの専門家のお話をお伺いする機会があって、その中で視覚障害者は音声情報を通常の10倍程度まで聞くことが出来ると聞いた。
WEBブラウジングなどでも、WEBを見ているとき(聞いているとき)は健常者がその音を聞くと早すぎて到底理解できないそうだ。


たまに雑誌の裏やWEB広告などで見かけるが、速読や記憶術などは本当じゃないかと思ってる。(実際僕もずーっと前から速読は会得したいと考えていて、最近特に会得したいというシチュエーションにあってから意識して本を読んでたら出来るようになってきました!♪)


ただそれに信憑性を感じられなかったり体得者が少ないのは、この社会がある一定の時間をもとにして動いているからじゃないかと思う。
社会的な常識という規範の中には時間的な常識というのが当然含まれていて、それを元に社会があたりまえのように毎日繰り返されている。

もし、生まれたときから今の2倍の速度で人が話す社会にいたらどうなっていただろう。
もし、映像が今より速く変化するように定義されていたらどうなっていただろう。
もしくはそんな環境にいきなり放り込まれたらどうなるだろう。


おそらく、元来適応的な生き方をしてきた人間のことだから、そうした能力も自然と向上させられるのではないかと思う。もちろん、話すことであれば口を動かす動作、歩くことであれば足を動かす力、映像を早く見ること(動体視力を使って)であれば眼球の筋肉のハード的な限界がある以上、限界はあると思いますが。


1秒、1分、1時間という単位が変わったら、ハイスピード人間もロウスピード人間も出来たりして。


あくまで可能性ベースの話であって、それで幸せになる人が果たしてどれだけいるのかというと疑問。


ここまでふれてきたのは、あくまで人間の「能力」の面であって、バイオリズムは変わらないはずです。生物としてのリズムは遺伝子に刻まれ、体内時計は存在しているわけですから。というか変わらないで欲しいです。



また、さっきは「時間的な常識」という風に言いましたが、これは「時間の文化」なんじゃないかと思う。(たしかエドワード・ホールのかくれた次元にそこらへんのこと書かれていた気がします)


ここらへんの話、クロノスとかカイロスとかそこらへんのことについて詳しいともっと語れるんじゃないかと思うのですが、勉強不足のため思ったことを言うにとどまらせていただきます。