舘先生のお言葉

3月4日、舘先生の最終講義に行ってきた。


舘先生は僕の師匠の師匠。とうことはひい師匠。
(ひいおじいちゃんの「ひい」は英語だと"very"?)


最初で最後かもしれない、直接お話を聞ける機会。
もう聞く前から興奮してた。


感じたこと、いくつか:


・周りからは先見の目があると言われていても、文脈を素直に追っていたんだと思う


・くくりとしては理系でも、すごい人間的な方だなぁという印象
 笑い方にしても振る舞いにしても。どうしてなんだろう。



メモ:

・最後の1センテンスの要約
「基本的な大事なことと最先端を勉強したらいいと思う」





なんかすごいやる気でた。


直接的な関わりは全くなく、言葉も届くこともないですが、
でも言います。


「今までの学界への多大なご尽力、本当に目を見張るばかりです。
そして後世に研究の楽しさ・在り方や新しい分野を残してくださって
ありがとうございます。」

開発メモ

PHPを使ったWEBシステムの開発なんてやってたりします。
ページ自体とあるメーリスにしか配信されないので、お見せ出来ませんが。


一応簡単に説明すると(誰が読んでるかわからないし、対象も決めてないし)、PHPはWEB上のシステムを構築するためのプログラミング言語です。
WEB上のプログラミング言語にはPHP以外にもCGIだったりPerlだったりJavascriptだったり様々なものがありますが、これらを使ってオンラインのWEBシステム、たとえばショッピングサイトだったりSNSだったりが構築可能です。具体的に今ちらっと見たらfacebookphpで組まれているようです
http://www.facebook.com/home.php


(話限りなく飛びますが、WEBの上での「今」って概念はいつなんだろう、「今」の時間性について知りたい!! もう明け方につき思考の飛びっぷりはご容赦をば)



今作っているだいたい設計は終えたのですが、あとは運用したときに
実際にどうなるか、、どんなものでも実際に使う、いわば本番は是が非でも気になるところ。それすら見越して準備を周到にしておくのが理想。一歩というより五歩先?



さてさて、今日開発したところでつっかかった項目を少しばかり。
(ここから技術的)


==========================================


・mb_send_mailを使ってメールを送る際に差出人の名前に日本語を使いたいとき

                                                                                • -

//おまじない的に使用言語を宣言
mb_language("Japanese");
mb_internal_encoding("SJIS"); //日本語メール送信


$body ="こんにちは、今4時58分、シゴヤー!!!!意味わからなくてごめんね";


$from = mb_encode_mimeheader(mb_convert_encoding("差出人名","SJIS","auto"))."<差出人のメールアドレス>";
//↑ここ入れ子になってます
mb_send_mail("example@hoge","こんにちは",$body,"From:".$from);

                                                                                • -


この場合mb_convert_encodingは差出人の名前を
"auto"から"SJIS"にエンコーディングに変更するという意味。


ロリポップではこれでうまくいきました。
サーバーによって標準のエンコーディングが異なるようなので
その点は試行錯誤する必要があるかと思います。


==========================================


というか、また話飛びますが、WEBプログラミングをインタラクションデザインに利用するのってまだまだあまり掘り下げられていないのかもという気がしてきました。ある意味学際的なのかな。

アイデンティティーの濫用

「指紋判子」なんてあったらどうなるでしょうか。

                                        • -

わたしたちは普段意識しないでも自分を自分だと認識しています。

自分が自分だと思う基準っていろんなところにあって、
それは言葉にできないようなものからできるものまで。


僕は指紋もその一つだと思ってます。


だって自分だけのオリジナルのものなのですから。


この指紋、最近は物騒なもので海外旅行の際にも求められたりしますよね。



このオリジナルなものを複製できるようになったらどうでしょう。
指紋判子とでも名付けましょうか。


もしそれがあれば、「私の証」を私じゃない人が自由に
使えるようになってしまいます。


指紋を正確に複製するのは相当高度な技術が必要だと前に何かで(ブラックジャックあたり?)で読みましたが、人が認識できないぐらいのリアリティーを伴っていれば案外簡単にその判子出来るように思えます。

                                        • -


アイデンティティーを濫用できる世界



それが出来ても幸せにはならないような気がします。
そもそも「濫用」って言葉からしてネガティブな印象ですしね。

ハイスピード人間

昨日ユニバーサルデザインの専門家のお話をお伺いする機会があって、その中で視覚障害者は音声情報を通常の10倍程度まで聞くことが出来ると聞いた。
WEBブラウジングなどでも、WEBを見ているとき(聞いているとき)は健常者がその音を聞くと早すぎて到底理解できないそうだ。


たまに雑誌の裏やWEB広告などで見かけるが、速読や記憶術などは本当じゃないかと思ってる。(実際僕もずーっと前から速読は会得したいと考えていて、最近特に会得したいというシチュエーションにあってから意識して本を読んでたら出来るようになってきました!♪)


ただそれに信憑性を感じられなかったり体得者が少ないのは、この社会がある一定の時間をもとにして動いているからじゃないかと思う。
社会的な常識という規範の中には時間的な常識というのが当然含まれていて、それを元に社会があたりまえのように毎日繰り返されている。

もし、生まれたときから今の2倍の速度で人が話す社会にいたらどうなっていただろう。
もし、映像が今より速く変化するように定義されていたらどうなっていただろう。
もしくはそんな環境にいきなり放り込まれたらどうなるだろう。


おそらく、元来適応的な生き方をしてきた人間のことだから、そうした能力も自然と向上させられるのではないかと思う。もちろん、話すことであれば口を動かす動作、歩くことであれば足を動かす力、映像を早く見ること(動体視力を使って)であれば眼球の筋肉のハード的な限界がある以上、限界はあると思いますが。


1秒、1分、1時間という単位が変わったら、ハイスピード人間もロウスピード人間も出来たりして。


あくまで可能性ベースの話であって、それで幸せになる人が果たしてどれだけいるのかというと疑問。


ここまでふれてきたのは、あくまで人間の「能力」の面であって、バイオリズムは変わらないはずです。生物としてのリズムは遺伝子に刻まれ、体内時計は存在しているわけですから。というか変わらないで欲しいです。



また、さっきは「時間的な常識」という風に言いましたが、これは「時間の文化」なんじゃないかと思う。(たしかエドワード・ホールのかくれた次元にそこらへんのこと書かれていた気がします)


ここらへんの話、クロノスとかカイロスとかそこらへんのことについて詳しいともっと語れるんじゃないかと思うのですが、勉強不足のため思ったことを言うにとどまらせていただきます。

晴れにかける思いの能動性

能動レベル0〜3


0:何もしない、もしくは無意識
1:「あーした天気になーれ」と口ずさむ
2:てるてる坊主つくってたらす
3:ヘリに乗って雲に対してドライアイス散布


2と3の隔たりがとてつもなく大きい気がする。
でも天気に人による編集性の要素が加わるなんて嫌だ!!


生きることもそうだけど、晴れの日も雨の日も曇りの日も雪の日も雹の日もつららの日も霜柱の日も竜巻の日も、なんだってバリエーションや意外性があるからおもしろいんだ。


幸いなことに今年は1月頭に一瞬だけ東京で雪がちらつくの見れましたが、1日だけでいいので街が雪化粧するのがみたいです。
いつもと違うってだけで人にいろんな表情やコミュニケーションが生まれるわけだし。


それは管理する対象じゃないと思う。

タイトル

しばらくブログを更新できなかった。


いや、書きたい内容はあってもタイトルの見えない圧力に
なんかとがめられるような気がしていたからだ。


今はタイトル変えてしまったのですが、、


先ほどまでは
「媒介者の日々」
というタイトルを付けていました。


確かに媒介者というタームは自分に合っている気が
しますし、なんだかいい響きのような気もしてました。


でもなんか違う。
しいていうなら、どこか高尚でお高くとまっているような
印象を受けて、今の自分とのギャップを感じていた。
強がったり、自分を必要以上に大きく見せるのは苦手だし
そのギャップを無意識に意識して次第にひずみになる。


おまけに「日々」ってほど
「今日は〜〜して、〜〜って思いました!!」
みたいに書くようには決して思えない。


あらためて自分の日常がどんなかなぁと考えてみたら、
とりとめもなく「興味ある!」みたいなことをがむしゃらに
やるのがスタイルになっているんじゃないかなと思って。


僕は昔からいろんなパーツをひたすら集めて生きていると思っています。


パーツは点ともいえます。
その点を集めれば集めるほど線になって、線にのっからなかったやつは
一旦外れて、最終的に面になるとすべてつながって見える。
これが理想だとすると今の僕は線が出来かけのところにいるかと
思っています。


点の集め方は、基本的にメモを取ることです。
大学生からメモばかり書いたノートは全部捨てずにとってますが、
たまに見返して思うことは、メモが客観的に見ておもしろくなって、
かつ本質的になってきているということ。


振り返ると成長を実感できるメモ、ノート。
成長というといい意味に限定されてしまう感があるので、
「変化を実感できる」
という方が正確ですかね。


傍から見て、ぜんぜん関係ないことしてるようでも本人からすれば
回りまわって一つの多面的なものになる。


そんな願いを込めて


「螺旋メモ(仮)」


というタイトルにしました。
(「曼荼羅」とか「メタ」って単語も捨てがたかったのですが。。)
タイトルは変わったのですが、今後ともよろしくお願いします。

というかこんな更新気まぐれブログあまり見てる人がいるようにも
思えませんが、、

書評について

書き溜めた本についてのエントリーを3つほどしたのですが、自分自身書評をすることについてあまり意味が見出せません。


「〜がおもしろかった」とか「よかった」とかブログ上に書くことよりも、僕の場合は特に気になる部分を書いて(専ら引用になると思いますが)、そこを起点にして思うことや関連することを書いた方が生産的な気がするからです。


書評や要約する力に自信がないということは認識しているので、少し意識して向き合って上達したいというのはありますね。


その人のブログというメディアの使い方次第だとは思いますが、自分は


・気になったことを引用することでのデジタル化
・思ったことのメモ
・要約力の向上
・一冊読み終わったという達成感の凝縮
・自分がおもしろいと思った本を人に紹介すること


ぐらいがモチベーションになっている気がします。